こんにちは、そなちはるです。

サッカーW杯最終予選初戦、無念の黒星・・・・・・

いろいろ疑惑の判定?がありましたが、まあPKどうのはおいといて、あれは入ってた!

まあ、そういう不運に負けずにぜひ代表の皆さんにはがんばってもらいたいですね。

しかし、昨日の試合を見ていて最も印象に残ったのは、解説の松木氏のポジティブな発言でしたけどね。

「90分ハーフと考えた方がいい!」
「きっと僕たちの応援が足りなかったんだな!」

ちょっとキュンとなりましたもん。

心洗われました。


さてさて、標題。

みなさんは「理由がないと面白いと言えない病」にかかってはいませんか?

かくいう私はたまにかかってしまうときがあります。けっこう難病です。

どういう病気かと申しますと・・・・・・

例えば映画を一本観ますよね。観た後に「面白いか面白くなかったか」を聞かれたときに、瞬時に答えられるかどうかがポイントです。

正常ならばすぐに答えられます。

そりゃそうですよね。面白いかそうじゃないかなんてその人の感覚ですから。

観終わった後の素直な気持ちで答えればいいだけです。


ところがこの病気にかかると、そうはいかないのです。

「この映画はキャスティングが素晴らしかったから・・・・・・」
「あのシーンの演出が絶妙で・・・・・・」
「さすが〇〇監督の作品・・・・・・」

みたいな理由が見つかって初めて、「この映画は面白いです」と言える。

本来は「面白い」と思った後に、「どこが面白いと思った理由だろう?」と考えるところが、順番が逆転してしまっているのです。


おそらく「面白い」という自分の感覚に自信が持てないからそうなるのだと思います。

なんとなく面白いかも・・・・・・くらいでは、面白いと言いづらい。

もしかすると著名人やネット上の通っぽい人々に酷評されているかもしれない。

そんなものをぽろっと安易に「面白い」なんて言ったら恥ずかしい。

そういうことかもしれません。

だから、「私は、1.〇〇だから、2.△△があるから、3.■■がいるから 以上の理由によって、この作品は面白いです。」

とならないと、「面白い」と言えない。


おかしな話なんですけどね。

いったい自分が何を面白いと思うのかもわからなくなっている状態は、やはり良くないと思います。

私も、だいたい自分を見失いかけているとき、価値観がぐらついているときにかかります。

でもそんなとき、あるスポーツの試合を見た友人が、「ルール全然わからんけどめっちゃ面白かった。」と言うのに目から鱗だったんです。

そうだよなぁ。すべてを理解していなくても、なんとなく「面白い」なんてことあるよなぁ、と。

それによく考えると、面白い理由がいくつも挙げられる漫才のネタって、なぜか大笑いできなかったりしませんか?


もちろん、面白いだけではありません。きれいだな、素敵だな、好きだな・・・・・・そういう感覚は大事にすべきだと思います。

そういう感覚には正解も不正解もないのですから。

「面白い」を頭でっかちに捉えるなんて、ナンセンスですよね。

皆さんも病気にかかりませんように。



そなちはる