こんにちは、そなちはるです。

急に朝晩涼しくなって、びびってます。

実のところ、出産が6月でそこからベイビーとほぼほぼひきこもっているので、暑くなってきたかな?の次が、涼しくなってきたかな?

その間が無いのです。今年は真夏なし。

快適でいいような。でもなんか頼りないような。

そんな感じです。2016年夏。


さあて、標題。

事件のせいでこれがフィーチャーされ過ぎて、直接言及するのはやめていたのですが、

まあ私も親になったことですし、少し考えてみることにしました。

子どもの行動に、親はいつまで責任を持たなければならないのか。

これについては、まあ「成人」基準でいいのではないかと思います。

ここから大人!なんてものはないし人それぞれ成長の速度も違うし、どうせどこかで強引に線引きするのならば、それで。


でも、親の責任がどこまであるのか、というと話は別で、

それは言うなれば「一生」だと思うのです。

親が子を育てていく中で価値観や判断基準がはぐくまれ、

その後身の回りに起きるいろんな出来事を、その価値観や基準で感じ、判断していき、

いろんな人に出会いいろんな言葉を浴び、それをまた感じ、判断していき、

結果、その子が40歳くらいで何らかの事件の加害者になってしまうかもしれません。


この場合、もちろん罪は子ども自身のもの。罰せられるのも本人。

いい年こいたおじさんおばさんの犯罪の責任を親が持つことはないでしょう。

しかし、そもそものその子の価値観や判断基準は親によって作られたものです。

それによって人生を歩んだ結果罪を犯したのであれば、親に責任が全くないとは言えないでしょう。

親は一生子どものすることに対して、責任の一端を担い続けることになるのではないでしょうか。


それでも、「親がこういう育て方をしたせいだ!」というのは違うと思うのです。

同じ育て方をしたとしても、その後、その子の身の回りに何が起きるか、

誰と出会うか、どんな本を読んで、どんな景色を見るか、ということに関しては親がどうこうできる問題ではないからです。

同じ価値観を持っていても、同じ人生を歩むことはないのです。

甘やかされても、責任感のある人に育つこともあるし、

厳しくしつけても、堕落した人になることもある。

だからこそ、親がいつまでも責任を持ち続けることはできません。

むしろ責任の所在は山ほどありすぎて、とてもじゃないけれど特定できない。

となると、結局成人した後は本人が背負うほかないのです。


成人した子どもが罪を犯した時、責任は本人がとるもの。

けれども、親にも責任の一端はある。

こう育てたら必ず犯罪を犯す、なんて育て方はない。

けれども、罪を犯してしまった理由をたどっていけば、必ず幼い頃に養われた価値観や判断基準にたどり着く。


こう考えると、親というのは本当に重大な責任を背負った仕事ですね。

それなのに収入が増えることはなくむしろ出費が増えるという。

このまま出生率が下がり続けていったら、

いつか国から「親」という職業に対して莫大な給料が支払われる時代がくるかもしれませんね。



そなちはる