こんにちは、そなちはるです。

今年はせっかくラジ子がいることですし、家も少しクリスマス感出してみました。

あまり広い家ではないのでね、フェルトかなんかで出来た壁掛けできる平面的なツリーってないかなーと探していたら、

意外とない。

フェルトで出来ていたら、いろんな飾りにマジックテープつけるだけでペタペタ飾り付けられるでしょ。

小さい子供向けでいいと思うんだけどなー。

まあようやく、近いものを格安で見つけてアレンジしました。

来たれ!クリスマス!


さて、標題。

最近話題のどこかの市長さん。

中学・高校のときはタバコも吸ったし悪いことしてた。でも市長になれた。多少のやんちゃは構わないさ。

・・・・・・的な発言をして問題になっていますね。

それについて賛成とか反対とか、そういう話はさんざん出尽くしているので、ここでは触れません。

そんなことより私が気になるのはね、

「昔悪かったけど、更生して立派な人間になった。」

という人が、ものすごーく褒められるのはどうなのっていうことなんです。


確かにそういう人は、ある時期、人の何倍も努力した人だと思います。

その「ある時期」のがんばりはもちろん賞賛に値します。並大抵の根性では成しえないことでしょう。


でもね。

けっして、一番えらいわけじゃないと思うんです。

一番えらい人は、ずっとがんばっている人だと思うんです。

悪いことをしたくなってもぐっとこらえたり、

サボりたくなっても自分にムチ打って持ちこたえたり、

そういう地道な努力を続けて、一度も道を踏み外さずにきた人が一番えらいでしょ。当然でしょ。


この市長さんの言い方だと、

ずっとがんばっている人が「型にはまった面白みのない人」だと言われているように感じてしまうのは、私だけでしょうか。

この市長さんに限りません。

「昔悪かったけど、更生して立派な人間になった。」って、結構支持されやすいと思うのです。

「不良だったけどなんとか卒業できた!」という子の方が先生にもかわいがられがち、みたいなことです。

道を踏み外すことなくやってきた人は、そりゃあ少し地味かもしれません。

でも、そういう人にも実は踏み外しポイントがたくさんあって、そこで様々なドラマがあって、強い意志で乗り越えて、結果道を踏み外さなかったのかもしれないでしょう?

そう考えると、全然地味じゃないし、そのドラマを無視してはいけないと思う。


一度過ちを犯しても、努力すればリカバリーできる世の中の方が、もちろんいいに決まっています。

でもそればかりに目を向けて、過ちを犯さない努力をしてきた人のがんばりを見ないのは本末転倒。

過ちを犯さないほうが絶対えらいんですから。


だから、市長さんにも、

「昔悪かったんだぜ!」

ではなく、

「実は恥ずかしながら、私にもこんな時期があったんです・・・・・・」

と言ってほしい。


一番えらいのは、ずっとえらい人。

そういう世の中であってほしいなーってね。



そなちはる